上古時代の出来事

上古時代の出来事を年表にまとめた。

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参考

wikipedia: 上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧

上古時代の天皇

この記事では 初代 神武天皇 から 13代 成務天皇 までとする。

日本の時代区分の 弥生時代 に相当する。

欠史八代

第2代 綏靖天皇 から 第9代 開化天皇 までの8代の天皇は 系譜情報のみからなり、具体的な事績が存在しないことにより、 後世の創作によるものと見られる。

14代 仲哀天皇 以降は 古墳時代の出来事 に記載する。

弥生時代の概要

弥生時代は 日本列島における時代区分の一つであり、 「日本で 食糧生産 が始まってから 前方後円墳 が出現するまでの時代」とされる。
年代としては紀元前10世紀あるいは紀元前9-8世紀から紀元後3世紀中頃までにあたる。
採集経済縄文時代 の後、 水稲農耕を主とした生産経済の時代である。
弥生時代後期後半の紀元1世紀頃 東海・北陸を含む西日本各地で 広域地域勢力 が形成され、 2世紀末畿内倭国 が成立した。

上古時代の出来事

神代の時代

出雲大社 創建

出雲大社 (いずもたいしゃ) は 島根県 出雲市 大社町杵築東にある神社。

創建

出雲大社 の創建については、 日本神話 などにその伝承が語られている。

国譲り

天津神国津神 ( 大国主神 ) から 葦原中国 の国譲りを受ける説話。

大国主神は国譲りに応じる条件として 「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、 千木 が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、 そこに隠れておりましょう」と述べ、 これに従って 出雲 の「多芸志の浜」に「天之御舎」を造った。

天岩戸神社 創建

天岩戸神社 (あまのいわとじんじゃ) は 宮崎県西臼杵郡 高千穂町 にある神社。

岩戸川 を挟んで東本宮と西本宮がある。

東本宮の主祭神は [天照皇大神 ( 天照大神 )

西本宮の主祭神は 大日孁尊 ( 天照大神 )

西本宮の神体は 岩戸川対岸の断崖中腹にある「天岩戸」と呼ばれる岩窟(跡)

こ岩窟は日本神話に登場する 天岩屋 であると伝える。

歴史

東西両本宮は元来は独立した別の社であった。

西本宮の社伝によれば 日向三代 の 初代の 瓊瓊杵尊 が 「天岩戸」の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源である。

紀元前

BC756年頃 神武東征

神武東征 は 磐余彦尊が 日向 を発ち、 奈良盆地 とその周辺を統治していた 長髄彦 を滅ぼした後に、 初代天皇 ( 神武天皇 ) の位についたという一連の説話をさす用語。

BC660年 初代 神武天皇 (51歳) 即位

BC711年 に 彦波瀲武鸕鶿草葺不合命 の第四子として 日向 に誕生。(磐余彦尊)

天照大御神 の五世孫にあたる。

神武東征

45歳時に 兄や子を集め東征を開始。

奈良盆地 一帯の指導者 長髄彦 らを滅ぼして 一帯を征服。

即位

BC660年 2月11日に 畝傍橿原宮 に遷都し、 51歳で即位して 初代天皇となる。

媛蹈鞴五十鈴媛命 を皇后とする。

BC585年 (神武天皇76年) に 橿原宮崩御。(宝算 127)

陵所 畝傍山東北陵 (四条ミサンザイ) ( 奈良県 橿原市 大久保町 )

名称

日本書紀 記載の名称は 神日本磐余彦天皇 (かんやまといわれびこのすめらみこと) 。

幼名は 磐余彦尊 (いわれびこのみこと) 。

「神武」は、8世紀後半に 淡海三船 によって撰進された名称とされる。

即位年月日について

日本書紀 の記述 「辛酉年春正月庚辰朔」に基づき、 明治期に法的・慣習的に「紀元前660年2月11日」とされている

明治期に 2月11日 を 紀元節 に定められた。

1966年(昭和41年)に 同じ2月11日が 建国記念の日 に定められた。

系譜

父 : 彦波瀲武鸕鶿草葺不合命

母 : 玉依姫

皇后 : 媛蹈鞴五十鈴媛命

皇子 : 彦八井耳命

第2皇子 : 神八井耳命

孫 : 健磐龍命

第3皇子 : 綏靖天皇

妃 : 吾平津媛

第1皇子 : 手研耳命

BC660年 (神武天皇元年) 鹿島神宮 創建

鹿島神宮茨城県鹿嶋市 宮中 にある神社。

主祭神武甕槌大神

古代には朝廷から蝦夷の平定神として、 また藤原氏から氏神として崇敬された。
その神威は中世に武家の世に移って以後も続き、 歴代の武家政権からは武神として崇敬された。
現在も武道では篤く信仰される神社である。

創建・伝承

創建について、 鹿島神宮の由緒『鹿島宮社例伝記』では 神武天皇 元年に初めて宮柱を建てたといい、 神宮側では この神武天皇元年 (BC660年) を創建年としている。

BC643年 (神武天皇18年) 香取神宮 創建

香取神宮 は 千葉県 香取市 香取にある神社

主祭神経津主大神

古代に 香取神宮鹿島神宮 とともに大和朝廷による東国支配の拠点として機能したとされる。

創建

社伝では 初代神武天皇18年 (BC643年) の創建と伝える。

BC600年頃 宮﨑神宮 創建

宮﨑神宮(みやざきじんぐう)は 宮崎県宮崎市神宮にある神社である。

主祭神神武天皇

由緒

社伝によれば 鎮座地は「神武天皇」が 東征 以前に宮を営んだ地で、 後に九州に下向してきた 皇孫の 建磐龍命 がその縁にちなんで創祀したという。

BC581年 2代 綏靖天皇 (51歳) 即位

BC632年 (神武天皇29年) に 神武天皇 の第三皇子として誕生。

タギシミミの反逆

BC585年 (神武天皇76年) に 父帝が崩御した。

3年後の BC582年に 異母兄の 手研耳命 を誅殺。

翌 BC581年に 51歳で 即位して 葛城高丘宮に都を移す。

BC549年 (即位33年) に 崩御。(宝算 84)

陵所 桃花鳥田丘上陵 (塚根山) ( 奈良県 橿原市 四条町 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 神武天皇

母 : 媛蹈鞴五十鈴媛命

皇后 : 五十鈴依媛命

皇子 : 安寧天皇

BC548年 3代 安寧天皇 (28歳) 即位

BC577年 (綏靖天皇5年) に 綏靖天皇 の皇子として誕生。

BC549年 に 父帝が崩御する。 7月に 28歳で即位。

即位2年に 片塩浮孔宮へ都を移す。

BC511年 (即位38年) に 崩御。 (宝算 57)

陵所 畝傍山西南御陰井上陵 (アネイ山) ( 奈良県 橿原市 吉田町 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 綏靖天皇

母 : 五十鈴依媛命

皇后 : 渟名底仲媛命

第一皇子 : 息石耳命

第二皇子 : 懿徳天皇

BC510年 4代 懿徳天皇 (43歳) 即位

年 BC553年 (綏靖天皇29年) に 安寧天皇 の第二皇子として誕生。

BC511年 に 父帝が崩御した。
翌BC510年 に 43歳で即位。

即位2年 に 軽之境岡宮 に都を移す。

BC477年 (即位34年) に 崩御。 (宝算 77)

陵所は 畝傍山南繊沙渓上陵 (マナゴ山) ( 奈良県 橿原市 西池尻町 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 安寧天皇

母 : 渟名底仲媛命

皇后 : 天豊津媛命

皇子 : 孝昭天皇

BC475年 5代 孝昭天皇 (31歳) 即位

BC506年 (懿徳天皇5年) に 懿徳天皇 の皇子として誕生。

BC477年 に 父帝が崩御した。

翌々年 BC475年 に 31歳で即位。

同年7月に 掖上池心宮へ都を移す。

BC393年 (即位83年) に 崩御。(宝算 113)

陵所は 掖上博多山上陵 (博多山) ( 奈良県 御所市 大字三室 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 懿徳天皇

母 : 天豊津媛命

皇后 : 世襲足媛

第一皇子 : 天足彦国押人命

第二皇子 : 孝安天皇

BC400年頃 狭野神社 創建

狭野神社 (さのじんじゃ) は 宮崎県西諸県郡 高原町 にある神社。

主祭神神武天皇

歴史

孝昭天皇 の時代に 「神武天皇」が誕生した地 ( 高千穂峰の麓の皇子原 ) に創建されたといわれている。

BC392年 6代 孝安天皇 (35歳) 即位

BC427年 (孝昭天皇49年) に 孝昭天皇 の第二皇子として誕生。

BC393年 に 父帝が崩御した。
翌 BC392年に 35歳で即位。

即位2年 に 室秋津島宮 に都を移す。

BC291年 (即位102年) に 崩御。(宝算 137)

陵所は 玉手丘上陵 ( 奈良県 御所市 大字玉手 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 孝昭天皇

母 : 世襲足媛

皇后 : 押媛

皇子 : 孝霊天皇

BC290年 7代 孝霊天皇 (50歳) 即位

BC342年 (孝安天皇51年) に 孝安天皇 の皇子として誕生。

BC291年 に 父帝が崩御した

12月 に 黒田廬戸宮 に都を移す。

翌 BC290年に 50歳で即位。

BC215年 (即位76年) に 崩御。(宝算 128)

陵所は 片丘馬坂陵 ( 奈良県北葛城郡 王寺町 本町 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 孝安天皇

母 : 押媛

皇后 : 細媛命

皇子 : 孝元天皇

妃 : 春日千乳早山香媛

皇女 : 千千速比売命

妃 : 倭国香媛

皇子 : 吉備津彦命

皇女 :倭迹迹日百襲姫命

BC281年 (孝霊天皇9年) 阿蘇神社 創建

阿蘇神社(あそじんじゃ)は 熊本県阿蘇市 にある神社。

主祭神健磐龍命

概史

孝霊天皇9年に 神武天皇 の孫の 「健磐龍命」の子で、 のちに初代 阿蘇国造 となる 速瓶玉命が、両親を祀ったのに始まると伝える。

BC214年 8代 孝元天皇 (59歳) 即位

BC273年 (孝霊天皇18年) に 孝霊天皇 の皇子として誕生。

BC215年 に 先帝が崩御した。

翌BC214年に 59歳で即位。

即位4年 に の境原宮 ( 牟佐坐神社 ) へ都を移す。

BC158年 (即位57年) に 崩御。(宝算 116)

陵所は 剣池嶋上陵 ( 中山塚墳 ) ( 奈良県 橿原市 石川町 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 孝霊天皇

母 : 細媛命

皇后 : 欝色謎命

第一皇子 : 大彦命

第二皇子 : 開化天皇

BC157年 9代 開化天皇 (51歳) 即位

BC208年 (孝元天皇7年) に 孝元天皇 の第二皇子として誕生。

BC158年 に 父帝が崩御

BC157年に 51歳で即位。

翌 BC156年に 春日の率川宮 ( 率川神社 ) に都を移す。

BC98年 (即位60年) に 崩御。(宝算 115)

陵所 春日率川坂上陵 ( 念仏寺山古墳 ) ( 奈良県 奈良市 油阪町字山ノ寺 )

欠史八代の1人である。

系譜

父 : 孝元天皇

母 : 欝色謎命

皇后 : 伊香色謎命

第二皇子 : 崇神天皇

妃 : 丹波竹野媛

第一皇子 : 彦湯産隅命

BC97年 10代 崇神天皇 (52歳) 即位

BC149年 (開化天皇9年) に 開化天皇 の第二皇子として誕生。

BC98年に 父帝が崩御した。

翌BC97年に 52歳で即位。

皇居は 磯城瑞籬宮

疫病と祭祀

即位5年 に 疫病が流行して人口の半ばが失われた。
祭祀で疫病を治めようとした天皇は翌年に 天照大神倭大国魂神 を宮中の外に出すことにした。
天照大神豊鍬入姫命 に託して 笠縫邑 ( 現在の 檜原神社 ) に祀らせた。
倭大国魂神渟名城入媛命 に託し長岡岬に祀らせた。
しかし渟名城入媛は身体が痩せ細って倭大国魂神を祀ることが出来なかった。

四道将軍

即位10年 に 武埴安彦 の反乱を鎮め、 四道将軍 を各地に派遣した。

御肇国天皇

即位12年に 戸口 を調査して初めて 課役 を科した。
この偉業をもって「御肇国天皇」と称えられている。

BC30年 (即位68年) に 崩御。(宝算 120)

陵所は 山邊道勾岡上陵 ( 行燈山古墳 ) ( 奈良県天理市 柳本町 )

実在した可能性のある最初の天皇とする説がある。

系譜

皇后 : 御間城姫

第三皇子 : 垂仁天皇

妃 : 遠津年魚眼眼妙媛

皇子 : 豊城入彦命

皇女 : 豊鍬入姫命

妃 : 尾張大海媛

皇子 : 大入杵命

皇女 : 渟名城入媛命

BC92年 (崇神天皇6年) 大和神社 創建

大和神社 (おおやまとじんじゃ) は 、奈良県 天理市 新泉町星山にある神社。

主祭神 倭大国魂大神

歴史

日本書紀 によれば

元々「倭大国魂神」は 大地主大神 として 天照大神 とともに 孝昭天皇 の時代から瑞籬宮の大殿に同殿共床で祀られていたが、 世の中が乱れたり謀反を起こそうとする者がでるなどは、 両神の勢いの為であると畏れられるようになった。
そのため 崇神天皇 は神威をおそれ、 崇神天皇6年に 天照大神を皇女 豊鋤入姫命 に命じて 大倭国笠縫邑 に移して祀ることとし、 「倭大国魂神」は皇女 渟名城入姫 を斎主としてこれも宮中の外で祀らせるようにした。 しかし、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。

崇神天皇7年2月に 孝霊天皇 の 皇女 倭迹迹日百襲姫命 が夢で 「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。

また同年8月7日に 倭迹迹日百襲姫命大水口宿禰伊勢麻績君 らが同じ夢を見た。

そのため、同年11月に 神武天皇 の 臣 椎根津彦 の子孫で 大倭直 の祖である 市磯長尾市 を祭主として、 新たに神地が定められ当社が創建された。

BC91年 (崇神天皇7年) 石上神宮 創建

石上神宮(いそのかみじんぐう)は 奈良県 天理市 布留町にある神社。

主祭神布都御魂大神

歴史

社伝によれば 崇神天皇7年に 勅命により 物部氏伊香色雄命 が 「布都御魂剣」という剣を現在地に遷し、 「石上大神」として祀ったのが当社の創建とする。

BC90年頃 鵜戸神宮 創建

鵜戸神宮(うどじんぐう)は 宮崎県 日南市にある神社である。

主祭神日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊

日向灘 に面した断崖の中腹、 東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、 参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、 神社としては珍しい「下り宮」となっている。

歴史

社伝によれば、 本殿の鎮座する岩窟は 神武天皇 の伯母の 豊玉姫主祭神「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊」を産むための産屋を建てた場所で、 その縁により 崇神天皇 の御代に 6柱の神を「六所権現」と称して創祀され、 推古天皇 の御代に 岩窟内に社殿を創建して 鵜戸神社 と称したと伝える。

BC29年 11代 垂仁天皇 即位

BC69年 (崇神天皇29年) に

崇神天皇 の第三皇子として誕生。

BC30年 に 父帝が崩御した。 翌 BC29年に 即位。

皇居は 纒向珠城宮

狭穂彦の謀反

即位2年に 狭穂姫命立后

即位5年に 皇后の兄の 狭穂彦王 が叛乱を起こした。 皇后もこれに従って兄と共に焼死した。

即位15年に 天皇丹波道主王の娘たちと再婚し、 長女の 日葉酢媛命 を皇后とした。

祭祀の振興

即位25年に 武渟川別彦国葺大鹿嶋物部十千根大伴武日 の五大夫を集めて先皇(崇神天皇)の偉業を称え、 先皇と同様に神を祀ることを誓った。

同年に 天照大神 を 異母姉妹の 豊鍬入姫命 から離し、 その祭祀を日葉酢媛命が生んだ皇女の 倭姫命 に託した。

宇陀近江美濃 と周った倭姫命は 最終的に 伊勢 に落ち着き 伊勢神宮を建立した。 ( 元伊勢 伝承 )

加羅と新羅との関係

垂仁2年に 来日した 加羅国 王の息子 都怒我阿羅斯等赤絹 を下賜し、 先代崇神天皇の諱である「みまな」任那 という国を建てるよう詔し、 帰国させたとされる。

70年 (即位99年) に 崩御。(宝算 140)

陵所は 菅原伏見東陵 ( 宝来山古墳 ) ( 奈良県 奈良市 尼ヶ辻町 )

系譜

父 : 崇神天皇

母 : 御間城姫命

皇后 (前) : 狭穂姫命

第一皇子 : 誉津別命

皇后 (後) : 日葉酢媛命

第三皇子 : 景行天皇

第四皇女 : 倭姫命

異母妹 : 豊鍬入姫命

BC4年 (垂仁天皇26年) 伊勢神宮 創建

伊勢神宮三重県 伊勢市 にある神社。

概要

伊勢神宮皇室氏神 である 天照大御神 を祀るため、 歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強い。

創祀年の考証

阪本広太郎は、日本神話の神宮創祀伝承を史実として認める立場をとり、 伝承の通り 垂仁天皇25年 (BC5年) に 垂仁天皇 の皇女の 倭姫命
笠縫邑 を発し、 その後の 伊勢 までの巡行に1年を要したとして、 丁巳年に当たる 垂仁天皇26年に 伊勢神宮 が創祀されたとする説を提示し、 その西暦年代については 日本書紀紀年法に従って機械的に換算した紀元前4年とした。

阪本の説は 現在の 伊勢神宮 の公式見解とされる。

1世紀

71年 12代 景行天皇 (84歳) 即位

BC13年 (垂仁天皇17年) に 垂仁天皇 の第三皇子として誕生。

70年に 父皇が崩御した。 翌71年に84歳で即位。

皇居は 纒向日代宮

九州巡幸

即位12年8月に 熊襲 が背いたので征伐すべく天皇自ら西下。

同年9月に 周防国 の娑麼 (山口県防府市) に着くと神夏磯媛という女酋が投降してきた。
神夏磯媛は鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折という賊に抵抗の意思があるので征伐するよう上奏した。
そこでまず麻剥に赤い服や褌、様々な珍しいものを与え、他の三人も呼びよせたところをまとめて誅殺した。

同月に 筑紫 に入り 豊前国長峡県 に行宮を設けた。
そこでここを 京都郡 (福岡県行橋市) と呼ぶ。

日本武尊の活躍

即位25年に 武内宿禰東国 を視察させて豊かな土地 ( 蝦夷日高見国 ) を発見する。

即位27年8月に 熊襲 が再叛。

10月に 小碓尊(16歳)に命じて熊襲を征討させる。
小碓尊は首長の川上梟帥を謀殺して「日本武尊」の名を得る。
翌年に復命。

即位40年に 大碓皇子 に東国の蝦夷を平定するよう命じる。
しかし大碓皇子は危険な任務を拒否し 美濃国 に封じられた。
結局、「日本武尊」が東征に向かうこととなり、 途中の 伊勢神宮 で 叔母の 倭姫命 から 草薙剣 を授かった。
陸奥国 に入り、戦わずして蝦夷を平定。

即位58年に 近江国行幸高穴穂宮 に滞在すること3年。

130年 (即位60年) に 同地で崩御。(宝算143)

陵所は 山辺道上陵 ( 渋谷向山古墳 ) ( 奈良県 天理市 渋谷町 )

系譜

皇后 (前) : 播磨稲日大郎姫

皇子 : 大碓皇子

皇子 : 日本武尊

孫 : 仲哀天皇

皇后 (後) : 八坂入媛命

第四皇子 : 成務天皇

同母妹 : 倭姫命

#### 80年頃 河堀稲生神社 創建

河堀稲生神社 (こぼれいなりじんじゃ) は 大阪市天王寺区 大道) にある神社。

主祭神宇賀魂大神

歴史

景行天皇 の時代、 当時昼ヶ丘と呼ばれていたこの地に 稲生の神 を祀ったのが最初とされている。

聖徳太子四天王寺 を建立した際に社殿が造営され、 崇峻天皇 を合祀して 四天王寺七宮 の一つに数えられた。

2世紀

131年 成務天皇 (49歳) 即位

82年 (景行天皇14年)に 景行天皇 の第四皇子として誕生。

130年に 父帝が崩御した。
翌131年に 49歳で即位。

皇居は 志賀高穴穂宮

治世

即位5年に 諸国に 国造稲城 を置き山河で国境を定めた。

190年 (即位60年) に 崩御。(宝算107)

陵所は 狭城盾列池後陵 ( 佐紀石塚山古墳 ) ( 奈良県奈良市 山陵町御陵前 )

実在性

通説では実在性の低い天皇の一人に挙げられる。

系譜

父 : 景行天皇

母 : 八坂入媛命

妃 : 弟財郎女

皇子: 和謌奴気王

131年 (成務天皇元年) 日牟禮八幡宮 創建

日牟禮八幡宮 (ひむれはちまんぐう) は 滋賀県 近江八幡市 宮内町にある神社。

主祭神比賣神

創建

伝承によれば 成務天皇元年 (131年) に 成務天皇高穴穂の宮 に即位の時、 武内宿禰 に命じてこの地に大嶋大神 ( 大国主神 ) を祀ったのが草創とされている。